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ハラショー・ラボータ
東京に雪が降ると思い出す人がいる。40年前、大学を出て1年ほどアルバイトをしていた国立国語研究所に、安藤さんというシベリア抑留帰りの用務員さんがいた。「僕はロシア兵からハラショー・ラボータと呼ばれていたんだ」と誇らしげに話して働いていた。ハラショー・ラボータとは「いい労働」とでもいう意味だが、簡単に言えば「働き者」ということだ。彼には戦争や厳しい労働の翳りはみじんもなく、めっぽう明るく小柄な体で働き回っていた。よく二人になると「穴掘りも一番だった。こうして働けるんだもん幸せだ」と、まるでドストエフスキーの短編に出てくる善良な初老の父親そっくりに、シベリアを語ってくれた。三月の大雪の日、一緒に雪かきをした。若い私も強靭な「働き者」にはかなわなかった。その後ハラショー・ラボータはどうされたか、東京も温暖化で雪も降らなくなり、また一つ記憶が薄らいでいく。
歴史の記憶も同じだ。ロシアといえば今は急速に豊かに変化しているそうだが、63年前、敗戦直前のどさくさに火事場泥棒のようにスターリンに奪われたわが国北方領土もいまだに返還されないままだ。漁船の拿捕(だほ)があってはじめて気がつくように、だんだん問題が薄らいでしまうのがこわい。武力や対話では、したたかなロシア人には到底太刀打ちできまい。唯一可能性があるとすれば、それは言語だ! ロシア語ではない。徹底して日本語をロシアに浸透させることだ。ケータイに興じている場合ではない。「ラボータ」ならぬ怯惰・保身の「サボった」官僚や政治家などあてにはならない。マスコミも流行(はやり)を追うだけだ。
「柔弱な人間ほど生活の便利さにみじめに引きずられる」とは、150年前19世紀ロシアの偉大な思索家ゲルツェンの言葉だ。ハラショー・ラボータ! 汗して自ら働くものに幸あれだ!
さて、今年の個展は春の銀座・下関・弘前につづき6月はパリです。ロシアでも!とのお声をいただいておりますが、体力が心配です。
2008年 元旦 初夢の淡雪 中島通善
望郷
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へんな風になって
テレビの弊害が止まらない。国民一億総白痴化が言われて50年、今や白痴化を通り越して鬼畜化だ! テレビの狂妄・捏造・偏向・誘導も巧妙だ! 戦争しなくても国は滅びる。大臣殺すも生かすも刃物はいらない。街角の無責任な匿名の声を集め、『言う識者』の卑怯な御託(ごたく)を並べてテレビで煽ればそれまでだ。日本人の十八番(おはこ)は昔から重箱の隅をつついてどうでもいいことを騒ぎたて、追っかけ回しては本筋を風化させてしまう風潮だ。かつて永井荷風は、女性の「望み」の高い低いが世の中を善くもし、悪くもすると言った。「テレビを見ると人間が馬鹿になる」−これは今年2月46歳で逝ってしまった池田晶子さんの遺言だ。さすが哲学者だ!
風潮といえば、千の風がどうしたという歌が流行っている。やたらテレビもはやしたてる。人は死ぬと風になるということのようだが、人間死んでも風にはならない! みんな土に還る。“風”化はしない。昔からそうだ。特に日本人は、戦争でも災害でも亡くなった者への遺骨は丁寧に拾って生きていた時の形に並べて土に還す。他国のように亡骸をただ物体としては穴の中におっぽりはしない。それが文化だ!文化とはそれぞれそういうものだ。野菊でも墓をつくり、物にも魂が宿ると信じては使い捨てにせず循環させる。これがわが国の文化だ! 風だ涙だとキリギリスみたいに何もしないで歌って慰めている場合か!? このままいけば、資源は失い温暖化も増すばかりだ。人生一つ手に入れれば、何か二つ失うと思い知ることだ!
さて、収穫の秋です。温暖化で土の具合が心配です。お米やりんごはどうですか? わが国の食料自給が減っているとのこと。耕作は食と土(環境)を肥やす重要な仕事です。これからは、自由化より『自給化』です。地球を救うのは愛ではなく『自給化』です。
ところで来年のカレンダー2種類できました。
ほとんど新作を印刷しました。また飾ってください。
2007年9月初め、彼岸の前に 中島通善
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白秋 |

白雨
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スゴーイ!
スゴーイ?
日本人の言葉が壊されている。国や文化の基本となるのは言語だ。世界に例を見ない万世一系の天皇を誇りにもつ日本文化としては、ゆゆしき状況だ。やれメタボリックシンドロームだスピリチュアルだとものものしいが、ただの腹太りであり霊感商売のことだろ!やたら言葉の言い替えをして、総理大臣までもがイノベーションとかマニュフェストとか言い出し、国語を乱して何が美しい国か!?
戦後アメリカが日本のアメリカ化をたくらんだ時「アメリカ化」という言葉は反発が多いと考え「民主化」なる言葉を使った。おかげで今の日本は親殺しも何でもありのアメリカ以上の異常アメリカだ!
特に最近は「民営化」をおっかぶせてグローバル化をねらった新アメリカ化のおまけつきだ。
そもそもグローバル化なんぞ、固有の歴史や日常の伝統文化を無視して金儲けの効率化をたくらむアメリカ流イベント主導文化でしかない。このイベント文化、日常を次々と壊して年がら年中、非日常をあおっての受け狙い、カネ落とせカネ落とせのセール!セール!セールだ! もはや戦争でも政治でも、選挙も裁判もイベントに組み込まれ、いま目立たなきゃもう俺たちに明日はないとばかりにメディアも企業も騒ぎたてる。能なし政治屋なぞ、また休日を増やせと言い出す始末だ。
今や活性化より鎮静化を欲している世の中の潜在意識に気づかぬか? すっかりイベント化に慣れてスゴーイ!スゴーイ!しか日本語を知らないTVの女子アナたちも、いい加減目を覚まして島崎藤村の「まだあげ初めし前髪の林檎(りんご)のもとに見えしとき・・・」(初恋)の美しい国語でも毎朝唱えたらどうだ!
さて、りんごといえば、弘前で4月末から個展をしました。明け方に雪が散ったと思ったら、昼には青空に桜が満開、夜は満月で「ねぷた」まで出ました。地方へ行くと、土地の言葉と人と祭りが日常に自然に根ついていて涙が出ます。レストランで働く17歳の前髪の娘さんに「津軽弁」を大事にして下さいね」と言うと、「はい」と大きくうなづいてくれホッとします。津軽の人たちは真面目で働きものです。私も実直なりんご園の人たちが造られたりんごを毎日一個食べ続けて、風邪もひかずに元気にしています。
2007年 りんごの花盛り 6月初 中島通善
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NO
天気
今年の冬は温暖化で天気がおかしく乾燥して版木がそっくり返りが激しく難儀の連続だった。他のものづくり現場の人たちも異常さを肌で感じたに違いない。政治家も企業もメディアもNO天気に平和だ福祉だと「優しい」「かわいい」「可哀想」なことに照準をあわせているうちに、日本も地球もとんでもないところまできてしまった。連休や夏休みになると、TVキャスターは笑みをつくって何百何万もが故郷や海外へ出かけますなどと言っているが、それに伴うエネルギーや排ガス(=ゴミ)の量も言ったらどうか! エネルギーとゴミ問題は同一である。
人間でも同じ、必要のないものをゴミと考えるかぎり、いじめも戦争もなくなりっこない。昔の日本には塵(ちり)という言葉はあったが、ゴミという概念はなかった。林立する高層ビルも必要なくなればゴミだ。ここらで思い切って国民一人当たりの年間エネルギー分配・配給制度でもつくらないかぎり温暖化は絶望的だ。家庭の出生率も上がるかもしれない。
中学三年の時、社会科の授業中、とつぜん隣の席のT君が「法隆寺は誰が造ったか知ってるか?」と独り言を発した。先生も生徒も一瞬虚をつれたが、彼は「大工さんだぞ!」と言った。教室は笑い声につつまれたが、その後T君は進学せず家業を継いで立派な大工になった。人間、自分の生きることは自分でまかなえるほど幸せなことはない。
さて、3月の銀座清月堂での個展には多くの皆様にお越しいただき心より感謝申し上げます。10年ぶりに茨城の鹿嶋から駆けつけて下さったご婦人や、35年ほど昔、ちょこっと木版画を教えた当時の中学生が久しぶりに来てくれ、後日、昔の私の年賀状をカラーコピーして送ってくれたのには驚きました。名簿を消さずによかったと思っています。人のご縁は不思議なものです。
2007年4月 お釈迦さまの誕生日に 中島通善
爛漫
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道徳渋滞
飲酒運転が大問題になっている。私は運転できないので心配ないが、飲酒運転者は何しろ車が好きな者だ!ちょっとそこらへ行くにもすぐ車で出かける。近所にデパートがあるが、土日休日はさほど遠くもないのに車でやってきて道路は渋滞となる。横断歩道も安全とは言えない。おまけに私の団地内をこれを抜け道とばかり猛スピードで通る。徐行や駐車禁止の警察の看板も何の役にもたたない。
また、路上には「歩行禁煙、吸殻ポイ捨て禁止区域」の区役所の看板もあるが無視される。路上喫煙はやまない。吸殻も必ず捨てていく。拾っても拾っても捨てていく。半年前に区長宛に提言した。「時給で年配者にでもお願いして吸殻の縫いぐるみでも着せて歩く看板はどうか」と。しかし丁寧な電話が所員からきただけで何もしない。同じことが自転車でもいたちごっこだ。今や役所も企業もマニュアルどおりの無駄な愛想と返答を振りまくだけで何もしない。
銀行など、師走の25日の月曜には一般の給料日と振込み客が集中するのに想像力を持たず、一見柔和そうな行員を立たせ、ただただ客を並ばせ続ける。3時が来ると閉めてしまう。振り込みも支払いも手数料だけ高くなる。銀行はもうかっているのだから土日でも夜でも普段どおりやったらと言っても何もしない。あとは看板やテープが応答するだけだ。この保身と傲慢さは何なのか? さらには政治家もメディアも広告代理店主導型のお決まりに乗っかって、奥の現実に気づいていないのが恐ろしい!一体日本はあと何年持つのか。感性の低下、道徳渋滞で新年の幕明けだ!!
さて、今年の新しい掛軸カレンダーはいかがでしたか?若手デザイナー伊與田彰子の仕事です。国の内外から有難いお便りをいただき深く感謝申し上げます。私のほうは昨年一年、国外の雑務に心身とも翻弄され、制作に集中できず従来型卓上カレンダーはお休みしました。来年は両方とも出す予定です。どうぞ可愛がってくださいまし。
3月は桜が咲く前、銀座清月堂で個展です。会いに来てください。
2007年正月 春の個展に向けて 中島通善
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雪たがい |
携帯現場
携帯電話(ケータイ)をやっている人の顔色が悪い。電話代が大変で食事代もままならぬとも思えないが、微妙に青灰色だ。電車に乗るとメールをしている7割は女性だ。どうも元気が感じられない。連れている赤ん坊の顔も赤くない。男たちも気のせいか仕事が充実している姿には見えない。
私は携帯電話もパソコンも持っていない。さらにファックスもなくテレビもお釈迦でろくに見ないから変人扱いされる。別に意地を張っているわけではない。面白いと思えないだけだ。確かにこうした機器は便利で簡単で面倒が省けるかもしれないが、逆にそうしたことはなぜか貧乏くさく感じてしまう。物を手に入れるにも話を交わすにも、直接現場でやり取りするなり手紙を書くほうがはるかに豊かでものを考える。世の中、面倒だから面白くて味もあるのだ。昔、おふくろがよく言った。「流行(はやり)ものにはのっかるな!」と。江戸っ子の知恵だ。
先日、半年ぶりに版木を買いに行った。重いから明日の便で届けると店では言ってくれたが、いつものとおり両手に抱えて地下鉄の階段をよっこらおっこら上り下りして、乗客に蹴飛ばされそうになって持ち帰った。もう、40年以上これをやっている。さすが年々息があがる。運びながらいつも思う。なんで版画家なんかになったんだろうと。しかし人生は生涯現場だと言いきかせて何年も経つが、板を運べるだけでも幸せだ。最近マスコミも現場主義などと言い始めたが、生きるのに主義もへちまもあるか。いくら貧困や苦界の現場を見て回ったとて、現実その目にあわなければ人生わかるもんじゃない。まさに現場の独学。それが「人生現場」ということだ。
それはともかく、今や世の中、目に見えぬ現場に覆われている。電磁波だ!携帯電話や駅改札等の高電磁波がうつ病の増加や出生率の低下に関係なければいいと願うのだが。
さて、今年一年、月刊誌『Voice』の表紙に作品を掲載くださったPHP研究所と吉野隆雄編集長に深くお礼申し上げます。また、今年もカレンダーの時期となりました。少し早いですが皆様良いお年を!
2006年11月 新カレンダー発売によせて 中島通善
冬木
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赤とんぼ
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神通力
お彼岸がくると坊主だった親父を思い出す。親父には神通力のようなものがあって、空襲の米軍機B29を気合で墜としたり、車に跳ねられても何の怪我もなかったり、客が来ない店に行くと、どしどし客が入ってきたりと、どう信じたらいいのか不思議な親父だった。
80歳で逝く数週間前までは朝晩365日一日も読経は欠かさず、私も小さいころから朝晩必ず祭壇に始まり仏壇・神棚と掃除を毎日やらされた。
その親父が口癖のように言っていた。神さま仏さまの面倒は一日も欠かすな。一日や二日手を合わせたって何にもならない。365日欠かさず続けて、運がよけりゃ神も仏もこっちを向いてくれるのだと。今になてみると私ども職人も同じだ。一日でも休んだり手を抜けば腕は必ず鈍る。神通力とは人通力だ。毎日さぼらず続けること! これだ。
大騒ぎの靖国参拝にしたってそうだ。年に一日かそこら手を合わせるかどうかで賛成も反対もへったくれもあったものか。どっちにしても全く神さまたちを馬鹿にしている。世の中コメンテーターばかり増え、政治家もマスコミも中国・韓国もオカミも、まず、365日休まずお参りしてから言ってくれってもんだ。それで戦争でも始まったら本当に罰あたりで、なにもなけりゃこれぞ御利益(ごりやく)だと喜べ。それが信仰というもんだろう。
神さまといえば昔から紙も神と同義で、木版画にも欠かせぬ和紙も神さまのように祀られてきた。紙は心を映す鏡、紙を見れば時代の良し悪しもわかる。乱れていた時代は紙も堕ちる。はたして現代の和紙はどう時代を反映しているか、後世の判断が見ものだ。しかし、時代を映すのは紙だけではない。女性もそうだ。漂白したトイレ紙のような女性ばかり増えて、あの江戸や平安にみる雅味で頑丈で品(ひん)が堕ちない手漉き和紙のような女性が減少しないことを祈るばかりだ。
さて、来年のカレンダーができました。とてもいい形です。ぜひ一冊お手元においてください。
2006年 稲穂の9月 中島通善
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七夕
先日、近くの書店に行ったら、若い女性が新刊本を開いて文章を丸ごとさかんに自分の携帯電話に打込んでいた。むかしの編集者としては見かねて、「そりゃ盗作だよ」と言ってやったら、けげんそうな顔で睨まれた。また、今日には、青森で収穫直前のさくらんぼが盗まれたニュースがあった。世の中の正義感はどうなってしまったか? 汗してものを作り出し商いをしている自営業者が、わずかな利益をあげるのにどんなに大変かを知らぬのか!
江戸時代中期の東北の哲人安藤昌益は、能書きばかりたれて汗にも泥にもまみれず作物を作らぬものは、釈迦でもキリストでも認めなかった。わが国が世界に誇れる偉人の一人だ。
汗と泥といえば現代の教育も泥沼状態だ。江戸の昔から今日まで教育の基本は読み書きそろばんと決まっているが、それに相撲を加えたほうがいい。相撲をわが国の教育の基本にすえるべきだ。相撲は単純にして実に奥が深い。まさに泥と汗にまみれ、日輪を模した土俵の大地に素足で立ち、裸で道具は持たず、ごまかしはきかず、頼りはまさに己一人、勝ちを競って自己の強さ弱さ、他者の手ごわさ、もろさを身をもって知ることができる。屁理屈はきかない。勝負が決まった瞬間、敵味方なし、力を抜いて礼に終わる。決して悪に向かうことはない。こんな文化が世界中どこにあるか?
今の若者、いや男たちがあまりにも屁ぴり腰で臆病、しいては卑怯と化しているのは、子供のころしっかり相撲を体験してこなかったことも言える。校庭で原っぱで盆踊りと一緒に相撲大会をやるにかぎる。お恥ずかしながら小粒な私にも小学校一年の町内相撲大会で五人抜いてクレヨンをもらった夏の思い出があります。
さて、今年の春、昨年来の疲れがたまってか体調をくずし、予定していたロンドンにも弘前にも行けず、成田空港搭乗口まで行って帰るはめになりました。年内は個展の予定はありませんので、少し気持ちの入れ替えをします。
来年のカレンダーは、少し変わった形となりますので楽しみにしてください。
2006年7月 七夕 中島通善
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螢 |
玉川高島屋展を前に
5月15日、脚本家の内館牧子さんのご厚意で久しぶりに両国国技館へ大相撲見物にでかけた。正面土俵下、砂かぶりに初めて座って緊張したが、テレビでは判らない力士の精神状態、行司と呼び出しの無駄のない動作と間合いの真剣な表情を見ると目頭が熱くなる。
世界のスポーツというスポーツは、当然勝ち負けを競うものだから、応援する選手なりチームがないと観ていても面白くないが、わが国の大相撲は本物を観るかぎりそんなことはない。洗練しつくされた伝統の美しさと人間の技と味を堪能できるスポーツだ。
近年、大相撲人気がもう一つと言われたりするが、それは外人力士のせいではない。力士も行司も呼び出しも協会も、そしてそれを支える職人社会も、しっかり伝統を崩さず保っている限り心配はない。問題は観るほうにある。芸術などの方面もそうだが、観るほうが真剣だと観られるほうもいい仕事をするものだ。それが今やものみなテレビ主導の観戦・鑑賞となるから勝敗や見た目といったあまりにも単純な面に照準をあわせ騒ぎすぎるのだ。テレビと観る側の責任は重い。とにかく時々、本物を観に行くこと、それしかない。
これは外国でもそうで、私のわずかな経験でも、アメリカやイギリス、オーストラリア等で日本文化を好きになる人たちは、必ず日本の本物を観た人たちだ。
今や世の中の物事は、どんどん数字(数値)と格好(見かけ)に収斂されていき、格差だ視聴率だ支持率だ少子化だといった数値や見かけで信用を保とうとするが、それは何の証明にもならない。仮想現実、仮想価値で本物ではない。
日々、社会は「古き」をくじき「新しき」にすがる風潮を益々大きくしていくが、「古い」は「ふるい」ではなく「古い(こい)」すなわち「濃い」ということだと考えてほしい。
2006年5月 玉川高島屋展を前に 中島通善
憧憬
春いちばん
展覧会にはいろいろな人がみえます。どんなに宣伝しても来ない人は来ませんが、私のお客さんのほとんどは、ちょっとしたきっかけで知り合ったかたがたの不思議なご縁で永くつながっています。
2月の展覧会でも、6年前ひょんなことから知り合った若いおまわりさんが久しぶりに同僚とみえました。二人とも26歳独身。非番でも姿勢を崩さずいい顔をしています。警察官は女性と知り合う機会が限られ、結婚相手は婦警さんか警察病院での看護婦さんが多いとか。誰かお嫁さんになってください。
初日と4日目には、日ごろ応援してくださるANAラーニングの岩田真理子氏が後輩の女性たちを連れて来られ、細長い会場はまるで飛行機内のような雰囲気でした。今は機上から地上に降り、一般の会社や診療所等の接客作法や正しい言葉の指導をしておられ、今の世の中には大切な仕事だと痛感します。
作法といえば、初日に裏千家教授の伊丹宗友先生に小粋なご挨拶を頂戴いたしました。その夕方脚本家の内館牧子さんが顔を見せ、誰も気にとめないと思って出した新作の小品を気に入られ、後日「あれは好評でしたよ、何年やっていても人の気持ちを読むのは難しい」と言ってやったら大笑いしていました。
そして最終日ぎりぎりには、昨年富山の朝日町立ふるさと美術館で私に刺激されたという30歳の元大手の商社マンが、京都で社会に役立つ会社を設立するという話をしに来られ、またひとつご縁ができました。
ところで今回ちょこっと飾りに置いた人形が好評で、あれはclay(粘土)artの藤川晴衣さんの作品。彼女はまだ34歳、数十年に一人の人形作家だと私はふんでいます。応援してやってください。
http://www.haruefujikawa.com/
私の個展もマンネリ化を免れませんが、皆様一年に一度お互い見せられる顔があるうちは続けるつもりでいます。
最後に寒中わざわざ御越し下さった皆様に心より感謝申し上げる次第です。
2006年3月 春いちばん 中島通善
薫風快晴

春たてる
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新春
昨年末のシドニー展は予想しなかった反響に驚いています。会期中は現地オーストラリアの方々はもちろん、カンタス航空機内で私の個展を知り、米国ヴァージニアから駆けつけてくれた娘さんもいたほど広がりを見せました。オープニングには、シドニー総領事の川田司さんと日豪協会会長のリー・マクリントックさんによる日豪の文化・歴史から私の版木画の説明までしていただき、すっかりお株を奪われてしまいました。
帰国後、特に驚いたのは会場で琴を奏でてくださった大野唱子さんや書道家深草美枝子さんからお手紙をいただき、「日本へぜひ行ってみたい」というオーストラリア人や「日本に帰りたい」「見逃してしまった。またすぐやってほしい」という在留邦人の多さです。私の印象では、オーストラリアは人も街も自然も明るく元気で爽やかで暮らすには最高ではと思っていたので、ちょっと複雑な気持ちです。今年は日豪交流30周年記念ということで、5月にもシドニー紀伊国屋店で私の個展も予定されていますが、作品も体力も大変なので考慮中です。
最後に、往復ならびに宿泊の面倒を見てくださったJALとJALPACの皆様、毎日見事な料理をお世話いただいた日本料理店『東』(AZUMA)の東ご夫妻ならびに店員の皆様、たくさんのビールをご提供くださった豪州KIRIN、そして日豪プレス報道をはじめ現地でご活躍の稲門会の皆様に改めてお礼申し上げます。そして、心強いサポートをしてくださった相澤洋子Carrさんとオパール・ジョージの鷲見治子さんに心より感謝申し上げる次第です。
さて、2月7日から銀座清月堂画廊で個展です。気楽にお出かけ下さい。ワインでも飲みましょう。札幌・弘前・仙台・富山・下関の皆さん!今年は冬が厳しいですが、どうぞお元気でいてください。またお伺いいたします。
今年は1月号より月刊誌『Voice』の表紙に作品が載ります。是非毎号ご覧ください。
2006年1月 新春 中島通善
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小春日和の東京にて
連休がやたらふえた。3連休あけなど病院も銀行も郵便局も長蛇の列だ。一方、街の逆転化が進み、休日には繁華街や大店には人が繰り出すものの、平日はまるで休日のようにシャッター街となる。改革改革と蘇我氏の時代から政治家は叫んできたが、改革なぞまた次の欲張りが出てくるだけの話。政治家のやることは、せいぜい休日をふやすか闇相場の設定か豹変主義と昔からきまっている。
31年前、私の勤めていた出版社が倒産したとき、会社も組合も改革改革と叫んでいたのを思い出す。いつの世も日本人は改革とか新しいという言葉に実に弱い。内心そう望んでいなくとも、こうした言葉が吐かれるとバスに乗り遅れまいとたちまち動揺して、それまでのことをすっぽり捨ててしまうから情けない。所詮、改革とは自己改革しかない。便利さも技術革新も世の中あわただしくするだけで、人間の本性は何も変わらない。馬鹿は馬鹿だし助兵衛は助兵衛だ。度合いはどんどんひどくなるから救いがたい。
5年半まえ、はじめてアメリカへ行ってわかった。戦後あらゆることに勝ちを誇ってきたアメリカが、唯一日本に負けたものが教育で、それが悔しくて悔しくて、多方面からブレーンを集め日本と日本人を研究して、まんまとカイカクされちまったのが、今日の日本のゆとり教育なるものだ。今やズボンも学力もずり落ちて髪まで変色してぶざまな姿となった。
さて11月10日から12月4日までシドニーで個展です。また後日報告いたします。
2005年10月 小春日和の東京にて 中島通善
五大明王

さんま |
秋の虫鳴く二百十日
9月25日まで、富山県の朝日町立ふるさと美術館で、作品101点を集めた私の個展が開かれています。初日の7月22日には開会式に朝日町へ行ってきました。
魚津龍一町長をはじめ、町民、県民、メディアの多くの皆様のあたたかい歓迎ぶりに驚くとともに深く感謝しています。
特に本展覧会を企画・展示から接客に至るまでご面倒をおかけした魚津章夫氏には心よりお礼申し上げます。
魚津氏とのおつきあいは、東京駅八重洲ブックセンター内に版画店を営まれて折られた時期、大変お世話いただき、もう20年にもなります。数年前、ご自身の研究をまとめられるため、ふるさと朝日町に戻られこの美術館開設に尽力された人です。
このふるさと美術館は、いまある多くの全国の美術館が建築家主導の無味乾燥なのと違い、心なごむ実にあたたかい木造住宅の印象深い建物です。これはひとえに、展示の仕方を含めて教科書的なふつうの学芸員には到底かなわない魚津氏の長年にわたる出版・販売等を通じて得られた、作品のみならず作家ならびにお客に対する深い洞察から来ているのでしょう。
世の中やたらコメンテーターばかり増える中、現場一筋に生きて培われた鋭い見る目に感服しています。
恐らく今後、私の個展でこうした会場ならびに見事な展示の仕方にはお目にかかれないと思っています。時間がありましたら、北陸本線泊駅まで行ってみてください。町内には心なごむ温泉宿も海も山もお米もあります。
ところで、来年の絵はがきカレンダーが出来ました。11月には1ヶ月ほど、シドニーで個展です。体力の衰えを気力で補っていますが、おのれを知らないのは、いつの世も自分自身かもしれません。
2005年9月 秋の虫鳴く二百十日 中島通善
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| 七夕
5月に新しい画集が出てから、いろいろお便りをいただきました。私はパソコンもインターネットもケータイもやらないので、郵便がたよりです。特に直筆のものは引越しても捨てられず、夜には枕元において何度も読み返したり、返事を出しにポストまで行きます。
全くの手前みそになりますが、連休に脚本家の内館牧子さんに画集を送ったところ、「通善さん、画集、もうたまりません、すごい!
物書きなのにこんな言葉しか出て来なくて・・・」
という直筆の礼状をくださいました。ありがたいことです。
彼女とは、NHKのドラマガイドの仕事を一緒にした「おしん」の頃からの知り合いなので、辛抱も強く20年以上になります。お互い電話で話すことはなく、いつも直筆の便りです。彼女もこの直筆を崩さないところが「すごい」ところでしょう。内館さんには、ぜひ大相撲の審議委員を通して国技大相撲の神随を啓蒙していただき、相撲界も国民も目先のことに動揺せず、もう2〜3度ふんどしを締め直してほしい。
ふんどしといえば、20年ほど昔の作で一度も売れたことがなかった「海の子」という赤ふんどしを締めた作品が、2年前のサンフランシスコ桜まつりの個展で米国ロックバンド、ビーチ・ボーイズが来て、自分たちのシンボルにするんだと買い求めてくれたのには感激でした。版木も捨てないでよかったと思っています。ビーチ・ボーイズはビートルズとともにロック史に金字塔を打ち立て、私とほぼ同世代にもかかわらず元気なのには感慨無量です。産経新聞によると7月に14年ぶりに来日するとのこと。私は家で昔のレコードを聴くことにします。
7月22日から2ヶ月、富山県朝日町立ふるさと美術館で個展です。「海の子」の作品も初めて展示しています。観て下さい。
2005年7月 七夕 中島通善
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昼さがり |

夏草
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春のおわりに
4月末、弘前桜まつりでの個展は、桜の開花が遅れて、蕾が開かずに終了したのが心残りでしたが、帰りの青森空港まで乗った女性のタクシー運転手さんに心が和みました。年齢は私とほぼ同じ。若い頃からタクシーの運転手になりたくて15年前やっと念願がかない、毎日楽しくてしょうがないとの話。40分近い乗車時間もあっという間に過ぎました。
それにしても、こうした自分の仕事が好きなのが伝わってくる人に会うと実に嬉しくなります。こういう人は運転も安心だし、いるだけで他人を幸せにできる力があるものです。
私は日常の買物はよく明治屋へ行きます。一人暮らしが長いので、食べ残したり捨てたりしないように良いものを少しずつ買うにはうってつけです。明治屋の店員は、とてもテキパキと仕事をこなし嫌な顔せず休む間もなく働いています。その姿がとても美しく、求めた食品も一層おいしく感じられ幸せになります。
こうしたことから、つくづく仕事も商売も一にも二にも人だなあと今さらながら思います。
東京の桜が咲き始めた頃、久しぶりに渋谷の観世能楽堂で岡本麗史さんの能『熊野』を観ました。招待を受けたのですが、ちゃんと切符を買って一番いい席をもらいました。私の周りは美しく着飾った御婦人ばかりで賑わっていましたが、本番が始まると私は芸の見事さに涙が止まらないというのに、前列の席のブランド品で身をかためた婦人がぐーぐー眠ってしまいました。
世の中、二極分化が騒がれていますが、二極分化は貧富の差だけではなく、お脳も分化してもう破局文化です。
5月10日に私の二冊目の画集がでました。是非また見てみてください。
2005年5月 春のおわりに 中島通善
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誕生日を前に
2月初めの銀座清月堂画廊での個展は、2年2ヶ月ぶりの東京での展覧会とあって、デパートとちがい皆さん身内意識の家族的雰囲気の中、有難い一週間となりました。つくづく皆様のあたたかい心尽くしに感謝しております。来年も、もう一度同じ画廊でやろうかと考えております。また元気なお顔と楽しいお話がうかがえれば幸いです。
それにしても、いつも感じるのは人との深い縁です。「通善さんの展覧会に来る人は皆600年ぶりの人で、昔は一緒のところに暮らしていたんですよ」などと言ってくださるお客さんもいます。背中にあったかい緊張が走ります。私も昨年還暦をむかえてから、なぜか「来る人こばまず」で、許すかぎり人と会う機会を大切にしたいと思っています。時間があったらしみじみ一献かたむけましょう。隠居ではなくメ顕居モとでもいったところです。
個展には間に合わなかったのですが、2月半ばイギリスより、よき理解者でいてくださるジョナサン・ウォーさんが家に来られました。日本酒が大好きだったのには感激しました。また、大晦日には西小山の歯科医の佐々木康先生が懐かしい電蓄型のレコードプレーヤーを届けてくださり、毎夜むかしのLPレコードを押入れより取り出しては、聴きながら仕事をしています。今夜はブレンダ・リーと西島三重子をかけています。
4月末には桜まつりの弘前で個展です。5月には新しい画集が日貿出版社より出ます。7月22日から2ヶ月、富山県の朝日町の「ふるさと美術館」で大きな展覧会をしていただくことになりました。ぜひ、行ってみてください。
2005年3月 誕生日を前に 中島通善
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けやき |

しだれ桜
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大寒の東京にて
正月もあけ、新春に新宿シアターアプルで、逢坂勉氏作・演出のロマン舎公演『愛してる人たち』を観ました。昨年夏、ご縁あって私の『提灯』の版木画を気に入ってくださり、お芝居用のポスターにも使っていただきました。芝居は懐かしい東京下町、相撲部屋近くの喜劇ですが、夫人である女優野川由美子さんの名人芸に、笑うことも泣くことも忘れ魅入ってしまいました。
やたら世の中コメンテーターばかり増える今のご時世、こうした身体をはった仕事(芸)を見ることができたのは幸せものです。そこには天性ばかりではなく、長いこと愛するものを見定め、一途に続けてこられた精神の味があるからでしょう。安易に時に流されない自分への厳しさなのでしょう。
昨年末、押し迫ってから近くに転居しました。東京に生まれ育ってもう十回以上も超えます。もうこれが最後と思っていますが果たしてどうでしょうか。家具らしい家具がないのに荷物の多かったこと。そのほとんどは古い版木と本です。古い版木も3分の1は捨てました。昨年読んだ本もほとんど捨てましたが、『むかし都立高校があった』(奥武則著 平凡社)だけは捨てられずに持っています。今日の日本を知るうえ、どうしてこんな日本になってしまったのかを考えてくれる名著だと思っています。
2005年1月 大寒の東京にて 中島通善
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キンモクセイの香る秋に
夏のはじめ、来年のカレンダーの作品にしようと、むかし実家にあった茶箪笥を見に両国の江戸東京博物館に初めて足を運んだ。行って驚いたのは、無機質で頭でっかちで重たい建物と、テレビのセットのようなその場しのぎの展示風景だった。地震や火災にあったらどうやって逃げたらいいのか皆目わからず、15分もいないで出てきた。江戸明暦の大火や関東大震災、東京大空襲と、両国は壊滅的被害を受けたところだ。まさかおまえもここで焼け死ねというわけでもあるまいし、窓もない。そもそもこういうものをつくった人は、江戸も東京もわかっていない。つまり好きではないのだ。日頃、頭では考えても生活で感じてないのだろう。江戸と東京の最大の特色は路地と坂と水路であって、こんなものつくるんだったらもっと残せた路地や水路があったろうにと思うと何とも口惜しい。
気分転換に、自宅から2つ手前の桜新町の駅で降りてサザエさんの長谷川町子美術館に寄った。客は誰もいなかったが気分はいい。サザエさんといえば、戦後から今日まで国民誰にも最も親しまれた主人公だ。作者の町子さんとは一度ちょこっと街で見かけたことがあったが面識はない。昔の東京人独特のシャイで目立ったのが嫌いだったせいか、意外だったのは、東京都からご褒美をもらったぐらいで、文化勲章も国民栄誉賞も受けていないのにびっくりしたのと同時に何かすがすがしさを感じた。今でも私はサザエさんのテレビアニメを時々見るが、その偉大さは日常の生活の現場にいて自分の生活観を崩さなかったことだろう。
美術館を出て、しばらく歩くとサザエさん役でも知られた歌手江利チエミゆかりのお寺がある。チエミさんの墓参りをかねてテネシーワルツの歌碑を拝して帰途についた。
さて、11月にはテロ等で延びに延びたワシントン下院議院での個展にやっと参ります。本場のテネシーワルツも聴いてこようと思っています。今年の夏はご存知猛暑で、絵具は乾くし板はそっくり返るで初めての酷夏でした。摺る時はエアコンをつけないので大変です。制作ぶりは来年のカレンダーをご覧ください。
2004年9月 キンモクセイの香る秋に 中島通善
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緑の日近く
今年1月、バレンの竹皮を提供してもらっていた元浅草の金子商店の奥さんから、ご主人の急逝で店を閉めるという手紙を頂戴しました。5年前にも同じ町内の版木の板兼さんのご主人が亡くなられ、奥さんと娘さんが江戸時代から続いた商いをやめると挨拶に見えられたばかりで、また一つ、街の歴史が消えて私の仕事もじわじわ外堀を埋められていく感じです。それにしても、こうした商いがなくなっていくのは大変な問題です。私はこうした夫婦でやっている店が好きです。魚屋でも水菓子屋でも、夫婦を軸にやっている商いは大体間違いない仕事をしています。売上げや効率に追われ、画一的でマニュアル化してしまった量販店や大型企業にない味と実と情があります。
そこには仕事と生活とを切り離せない人間本来の日常生活、すなわち文化があります。最近、日本の文化や伝統を大事にしようと叫ばれしてきましたが、もともと文化や伝統は、こうした緩慢で何気ない日常の生活の繰り返しの中で培われてきたものです。しかし、現状は性急なパフォーマンスやイベント主導の文化によって、日常の伝統的文化が壊されていくのがわが国の危ういところです。
ところで、私も3月で60歳。還暦を迎えました。木版画歴も44年です。私の仕事は他の人にやってもらうわけにはいきませんので、体力がなくなればおしまいです。週に1枚いいのが摺れればいいと思っています。
4月10日には神山純一氏のおかげでDVDが発売されました。美しい音楽もぜひ聴いてみてください。5月は米国和親条約150年記念の個展でワシントンに行きます。大統領と話す機会をいただいたら、日本文化の伝統と日常生活のかかわりを話してきたいと考えています。
2004年5月 緑の日近く 中島通善
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